私とは


今まで自分の人生を振り返った事はなかった。
しかし、自己認識・自己理解は留学生活ないし受験においても重要なのではないか、と感じたので今回は"私"について書こう。

私とは


2000年12月の終わり、超がつくほど普通の夫婦の第一子として産まれる。父の転勤先である名古屋で三年ほどを過ごし東京郊外へ戻る。 特に何もない幼稚園生活だったが、とりあえず頑固で祖母からのあだ名はガンコちゃん、3歳にしてチャイルドシートを巡り母と喧嘩(最初の記憶)という問題児ぶりを発揮しつつピアノを習い始める。
この時、初海外で父の友人が住むシンガポールへ家族旅行をした。ちなみに機内で迷子になった。

小学校は徒歩5分の公立に通う。低学年で水泳を始める。しかし3、4年生の担任への反抗を繰り返し今振り返ると最悪の2年間を過ごす。5、6年にもなると安定しピアノと水泳を辞めバスケを始める。〇〇代表なども務めるようになり少しずつ精神的に成長する。2回目の海外、グアムに家族旅行で行く。

そして中学校。これまた徒歩10分の公立中学に入学し、評判の悪かったバスケ部ではなくバレー部に入部。しかしこれまた割と強豪の結構な激しい部活に入ってしまった。しかしここで親以外の大人から親以上に怒られ、人として成長出来たと思う。3年間を通し部活と勉強だけの生活を送り、部長になってからは人間関係にも悩みながら文武両道を実現させた。我ながらよく頑張っていたと思う。



しかし海外への憧れがあり、部活引退後の夏休みにカナダへ語学研修に参加。ちなみにロストバゲージに遭う。この時見学したビクトリア大学(カナダの名門校)を見て漠然と海外大に憧れを抱く。

そして高校入学。入学前から部活体験に一人で5回も行った憧れのバレー部への思いを語り都立推薦首席で合格し、新入生代表挨拶まで任された華の入学式。文武両道の生活を送っていたが、元々大好きだったサッカー観戦に徐々にのめり込んでいく。

そしてカナダ渡航以降沸々と思い焦がれていたアフリカへの憧れを実現しようともがき始める。それと共に1日の大部分を占める部活よりも他の事に目を向け始める。


そして2016年12月26日、単身タンザニアに渡航。
タンザニアの田舎町、アルーシャの孤児院で働く。英語は学校でしか勉強していなかったが日本人はおろか周りは全員タンザニア人という状況下でメキメキと英語を話すようになった。

ボランティアの2週間を終え帰ろうとする矢先、斡旋会社のミスとタクシーの運転手の遅刻により飛行機に乗れず、帰国が2日遅れるという珍現象が発生。それでも人生のターニングポイントといえる2週間だった。よく親は行かせたと思う。

帰国と共に部活を辞め、Facebookで見つけた高校生国際会議実行委員会という高校生の運営する学生団体に入り、makers university u18と呼ばれる全国から選抜された高校生が集まって…というキャンプに参加する。
※makers universityについては→http://u-18.makers-u.jp/

高校生国際会議実行委員会では企業に挨拶に行き、メール文を仕上げ企画書を作った上で会場を借りてイベントを開催したり…と普通の高校生が経験できないことを経験した。


Makers university では全国のすごい高校生(すごいという表現が一番しっくりくるので)と共に起業家から提示されたミッションを春休みの五日間フルに使い解決していった。
このキャンプで沢山の起業家と繋がることができ、今でもその投稿などから刺激をもらうことができている。

そして高校二年生になりアルバイトをしながらFC東京の応援にのめり込む。
ほぼ毎試合スタジアムに行き、サポーター仲間とゴールの真裏で応援をする週末。正直充実しすぎていた。土曜授業と日曜日の夜のアウェイゲーム以外は全て行った。北は札幌、南は佐賀、鳥栖まで。ここで仲良くなった友達と遊ぶことも多かった。

我ながらスーツケース登校は歴史を残したと思う




七月後半に貯めたお金でアメリカに留学中のサラと台湾旅行へ。ここでもアクシデントに遭い、帰りの便が台風で欠航となってしまった。
私の中で彼女は最高の親友といえるほど私に影響を与えている。中学校ではクラスが同じになることはなかったがサッカーから始まり、今もずっと連絡を取り続けている。
※サラのブログ→https://sarahirayama.blogspot.com/




夏休みの終盤に差し掛かった頃、私は友達に誘われて麻布高校の先生が主体となって活動している"ガーナよさこい"に参加した。これはガーナから高校生を26名ほど呼び、日本の高校生(麻布高校と土佐高校が主。大々的に募集されていないので参加人数は少ない)と一緒に8月末の原宿元気祭でよさこいを踊りお互いの交流を深めるというものだ。
よさこいだけではなく、一緒に東京巡りや鎌倉旅行をしたりと盛りだくさんだ。
ガーナの高校生と接することは、海外の高校生になりたいという思いをより強くした。



夏休みの最後、私は南米チリに留学することを決めた。
※理由についてはこの記事を→https://studyabroadibchile.blogspot.cl/2018/03/blog-post_17.html?m=1

高校二年生はほとんどの時間をアルバイトとサッカーと勉強に費やした。それ以外の記憶も写真もあまり無い…

そして秋、なぜこの高校に入ったんだろうと自問自答してた日々を打ち砕くような友人に出会う。3年生のケンタさんと卒業生のセイさんだ。
彼らとの出会いで一気に知ろうとする思いが大きくなる。ケンタさんは引退後急にアメリカに語学を学びに行き、セイさんはストリートフォトグラファーとして学業の傍ら活躍されている。
※セイさんのInstagram→https://www.instagram.com/seniboco21
この日野台三世代会議で、今の政治国際問題、社会問題について話し合い、自分達に何ができるのかを話し合った。同年代とここまで深い話をすることは私にとっても大きな刺激となった。
大学にも関心が湧いてきて、自分の目でリアルを見よう!と奮起しある大学の授業に忍び込むきっかけにもなった(しかも3.4年生30人授業)


しかし段々と友達と1年間会えなくなる事に焦りを感じ出し、遊びとサッカーに全力な高校生になる。もちろん進学校に在籍していた為勉強はしていたが、出国までは家にいる時間よりも外にいる時間の方が長かった。


冬休みになると短期アルバイトでパン工場で働き出すも、忙しい・辛いというよりも働いている人間を見るのが悲しくなってくる。これは今の発展中途国の工場の働きと似ているのではと思い余計に労働環境・管理の改善が必要だと感じる。
その工場で出国までのお金を稼ぐとすぐに辞め、授業中もスペイン語の勉強に励んだ。
出国前3週間は本当に毎晩遊んでいた。
今まで友達はいるのかと親に心配されてきた時もあったが、みんなからご飯に誘われ、17年間で友達をこんなに作ることができたんだなと実感。



そして2018年2月22日、チリに渡航。

チリでしか出来ないことに重点を置き、様々な事にチャレンジしていく。
そして用意された試練に満足せず、自分で試練を作る事を大切にしたい。

コメント

人気の投稿